最初の休職では「きっとまた戻れる」と信じていましたが、同じ状況を繰り返す中で、家庭の中にも限界が見え始めました。
支える側として感じた不安や現実、そして「退職」も視野にいれて考えるようになるまで、想像していたよりもはるかに重いものでした。
この記事は、2度の休職を経験した夫と、そのそばで支え続けた私が歩んだ数年間の記録です。
同じように悩んでいる方に、少しでも心が軽くなる瞬間がありますように——そんな思いで書きました。
■最初の休職——「まさか夫がうつに?」という現実
夫が最初に体調を崩したのは約2年前。
十数年の教員生活で、真面目で責任感が強く、生徒思いの夫を私はずっと見てきました。
だからこそ、休職が決まったときは私も信じられませんでした。
「少し休めばすぐ良くなるはず」
そんな希望とは裏腹に、医師の診断は1年近くの休職。
私たちにとって、見えない不安と向き合う長い期間が始まりました。
■復職、そして再び訪れた限界
1年後、夫は復職しました。
最初のうちは不安定ながらも出勤できている姿に、私は静かに安心していました。
しかし徐々に、夫の表情は曇り、朝起きることさえつらくなっていきました。
動悸、息苦しさ、涙、眠れない日々——。
やがて出勤そのものが難しくなり、夫は2度目の休職を選ばざるを得なくなりました。
■休職中の日々——穏やかな時間と、不安の波
2度目の休職中、夫は治療やリワークなど、自分と向き合う取り組みを続けました。
散歩、ドライブ、ゆっくり過ごす時間。
調子の良い日、悪い日、その波は大きく揺れ動きました。
ただ、何も特別なことをしなくても、
家族でご飯を食べて、テレビを見て、笑い合える時間が何より尊く感じられました。
「この穏やかな日々が、少しでも長く続いてほしい」
それが私たち家族の願いでした。
■復職へのプレッシャーが心を追い詰める
それでも、夫の心には常に「復職」という影がつきまとっていました。
- 「いつか戻らないといけない」
- 「迷惑をかけている」
- 「また壊れてしまうのではないか」
復職予定日が近づくにつれ、夫の不安は大きく膨らんでいきました。
そしてある日、夫はついに本音をもらしました。
「復職のことを考えると苦しい。もう戻れる気がしない。」
その言葉を聞いたとき、私は悟りました。
「教員に戻ればまた夫が壊れてしまう」と。
■「やめてもいい」——それはあきらめではなく、愛情からの言葉
私は夫に言いました。
「もう、教員やめていいんじゃない?
十分がんばったよ。教員だけがすべてじゃない。」
この言葉を夫に伝えるまで、本当にたくさんの葛藤、不安、そして苦しみを抱えていました。
この言葉は、逃げでも、放棄でもありません。
ただ、大切な人の心と命を守りたいという願いでした。
教員として全力で働いてきた夫を誇りに思っています。
でも、その仕事が夫の心を削ってしまうのであれば、別の道を選ぶことは前向きな決断だと感じました。
■「辞めても生きていける」——障害年金がくれた安心感
夫が「辞めてもいい」と思えるようになった背景には、障害年金の受給が決まったことも大きな理由でした。
これまでは、
- 経済的に戻らなければならない
- 家族のために働かなきゃいけない
そんなプレッシャーが夫を強く縛っていました。
障害年金の申請が通ったことで、私たちはようやく
「無理に復職しなくてもいい」
と思えるようになりました。
もちろん、これだけで裕福に暮らせるわけではありません。
でも「生きる選択肢が増えた」ことは、私たちにとって大きな安心材料になりました。
※障害年金については、無料相談を受けられる社労士さんや支援サービスもあります。状況によって制度の対象が異なるため、必要な方は一度専門家に相談してみるのがおすすめです。
■これからの私たち——環境を変えることは「失敗」ではない
教員を辞めたからといって、うつがすぐ治るわけではありません。
でも、生き方を変えることで心の負担が少しでも軽くなるなら、
その選択は決して後ろ向きではありません。
私は今、夫と一緒に新しい道をゆっくり探しています。
焦らなくていい。
人と比べなくていい。
自分のペースで、生きられる方法を見つけていけばいい。
■同じように悩んでいる誰かへ
もしあなたや、あなたの大切な人が同じような状況にあるなら——
どうか、自分を責めないでください。
無理をしない選択をしてもいい。
立ち止まってもいい。
道に迷ってもいい。
あなたがあなたらしく生きられる場所は、きっと他にもあります。
その選択は弱さではなく、あなたが生き延びるための強さです。



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